出産をめぐる夫婦間の交渉問題: Rasul (2008)

※不定期に学部生・大学院生による開発経済分野の論文紹介を行っていこうと思います。今回はその第1回目です。

今回紹介する論文

Rasul, I. (2008). Household bargaining over fertility: Theory and evidence from Malaysia. Journal of Development Economics, 86(2), 215-241. link

コミットメントの重要性

今回は、2008年にJournal of Development Economicsに掲載されたRasul (2008) “Household bargaining over fertility: Theory and evidence from Malaysia”を紹介する。

発展途上国では、夫と妻の間で理想の子どもの人数が大きく異なっていることが報告されている。例えば、理想論として夫は5人子どもが欲しいと思っているのに対し、妻は不平等な養育負担を考慮すると2人くらいでいいと考えている場合だ。そのような状況の中で、実際の出産人数は夫婦の間でどのように決定されているのだろうか?この疑問に取り組んだ論文がRasul (2008)である。特にRasul (2008)によると、事前に決めた将来の家族計画に関して夫も妻も忠実に“コミット”できるかという点が重要であるという。

コミットメントが可能とは、将来の家族計画に対して、夫婦間で結婚前など事前に合意ができ、かつ、計画通りに実行できることを意味する。また養育負担が重い妻は、夫からの移転(transfer)により、事後的かつ確実に補償される。このように婚前に完備契約が成立するため、合意がなされた家族計画は効率的なものとなる。

論文では、コミットメントが可能であると仮定した場合、理想の子どもの人数と実際の子どもの数との関係性に関する理論予測を以下のように示している。

  • 夫の理想の子どもの数も妻の理想の子どもの数も、等しく実際の子供の数に反映される
  • 出産人数は事前に合意されており家族計画に関する再交渉は行われないため、理想の子供の数が実際の子供の数にどのように影響するかは、夫婦間交渉力やアウトサイドオプション(外部機会)の利得には一切影響しない

 

一方、何らかの理由によりコミットメントが不可能な場合、事前の合意形成は不可能である。この場合、出産後に、再び夫婦の間で交渉が行われ移転額が確定する。再交渉時に重要な要素となるアウトサイドオプション(結婚生活が破綻した場合の利得)は、それまでに産まれた子どもの数に依存する。そのため、妻は結婚生活における子どもからの直接的な効用のみだけでなく、将来のアウトサイドオプションを高める効果もあることも考慮して、子どもの数を事前に決定するのだ。子供を産むことを投資の一種と考えると、後者の効果のために妻の投資インセンティブは歪められ、結果的に過剰投資になる可能性が出てくる。そのため、この状況下における出生行動は非効率的なものとなってしまう。

論文で示されている、コミットメントが不可能な場合の理論予測は、次のように要約される。

  • 夫婦それぞれの理想の子どもの数が、どのように重み付けされて実際の子供の数に反映されるかは、夫婦間交渉力やアウトサイドオプション(外部機会)の利得に影響する
  • どのような交渉決裂を想定するかにより、選好がどのように反映されるかが変化する
    • 離婚を想定する場合、夫婦双方の選好が反映されるが、その反映度は夫婦間の交渉力の差に依存する
    • 家庭内不和を想定する場合、妻のみの選好が反映され、夫婦間の交渉力の差は説明力を持たない

 

マレーシアにおける民族間の文化的差をうまく利用した実証

では実際に、夫婦は婚前に決めた子どもの数にコミット出来ているのだろうか?この点を検証するため、著者はマレーシアを研究対象国に選んでいる。実証戦術のカギは、推計サンプルを離婚率の高いマレー系と離婚が稀である中国系に分けた点である。そのため、前者では離婚が、後者では家庭内不和が、それぞれ交渉決裂点として相応しい。この文化的差異を利用することで、出生行動の背後にどのような家庭内交渉モデルが動いているかを判別できるのだ。

 

理想と現実

データはMalaysian Family Life Surveyを用いている。本調査は同一家計を追跡するパネルデータであり、1回目の調査は1976年、2回目の調査はその12年後の1988年に実施されている。第1回目の調査で、“Suppose you could start your married life all over again and you could decide what children to have. How many children would you want?” という質問を、夫と妻、双方に尋ねており、これへの回答を子どもの数に関する選好として扱っている。出生行動の結果を示す変数としては、第2回目の調査時点における子どもの数を用いている。

まずは民族ごとに、夫と妻の理想の子供の数と実際の出産人数を示している下の表を見て欲しい。

この表から二つのことが読み取れる。

一つ目は民族に関わらず、夫と妻で理想の子どもの数に統計的な有意差が存在している点である。総じて夫は妻よりも多くの子どもを望んでおり、夫婦間でこの齟齬に起因する対立を解決する必要があるということを示唆している。

二つ目は、マレー系、中国系ともに理想の子供の数よりも、実際には多くの子供を産んでいることである。この結果は、夫婦の間でコミットメントが不可能であり、アウトサイドオプションが重要となるため、過剰投資している可能性を示唆する結果といえる。

 

実証結果

それでは、実際の出産人数を夫と妻それぞれの理想の子どもの数に回帰した推計結果を見てみよう。Table 5は離婚が交渉決裂点として想定されるマレー系の結果、Table 6は家庭内不和が交渉決裂点として想定される中国系の結果である。

 

個人の教育水準や収入など様々な規定要因を制御した定式化の結果である列(4)All controlsを見て欲しい。

まず、マレー系の場合、夫の理想の子どもの数、妻の理想の子どもの数の双方が正で統計的に有意な値をとっている。一方、中国系のサンプルでは、妻の理想の子どもの数のみが実際の子どもの数に有意に影響を与えているが、夫の理想の子どもの数は結果に殆ど反映されていない。また表には示されていないが、年齢や教育年数といった個人特性は妻に関してのみ影響があり、中国系の夫の特性は出生の規定要因となっていなかった。

次に、Test (p-value)という行を見て欲しい。この行は、夫の理想の子どもの数の影響と妻の理想の子どもの数の影響が等しいという帰無仮説を検定した時のp値を示している。マレー系のサンプルでは帰無仮説は棄却できないため、夫婦双方の選好が実際の出産人数に等しく反映されているといえる。他方で、中国系のサンプルでは有意水準10%前後で棄却されており、夫よりも妻の選好がより反映されていることが分かる。

すなわち、Table 5とTable 6の結果を比較すると、民族間で理想の子供の数の現実の子どもの数への反映度が異なっていた。特に、マレー系サンプルの推計結果はコミットメントが可能な場合および不可能な場合の交渉モデルの双方と整合的であるが、中国系サンプルはコミットメントが不可能な場合の交渉モデル(特に、家庭内不和を脅威点とする場合)のみに整合的な推計結果である。これについて2つの解釈が可能である。

一つ目の解釈は、民族ごとに、理想の子供の数の現実への反映度が異なるのは、そもそもコミットメントを行えるかどうかが民族によって異なるためであり、マレー系ではコミットメントが行われているが、中国系では行われていないという説明である。二つ目の解釈は、マレー系で夫婦の両方の理想が反映されていたのは離婚が脅威点となっているためであり、実際はマレー系・中国系ともにコミットメントが行われていないという解釈である。どちらの解釈が妥当だろうか?

 

理論を判別する

この二つの可能性を判別するため、著者は交渉力の役割に注目した。特に、「コミットメントが可能な場合、理想の子どもの数の実際の出産人数への反応度は一定であるが、コミットメントが不可能な場合、反応度は個人の交渉力に応じて異なる」、という理論予測の違いをテストしている。すなわち、マレー系のサンプルにおいて理想の子どもの数が個人の交渉力に伴って実際の出産人数へ反映されているならば、出産人数に関しては事前にコミットすることは不可能であったと判断できるのだ。

一般に資産をより保有していると家庭への貢献度が高いとみなされ家庭内交渉力が高くなる。この考えを基に追加分析を行ったところ、夫が相続した土地を保有する場合、夫の理想の子どもの数が結果に反映されやすく、また妻の理想の子どもの数が反映されにくくなっていることがマレー系サンプルにおいて判明した。つまり家庭内交渉力が高くなると、理想が現実に反映される度合いが高くなっており、コミットメントが不可能な場合かつ離婚がアウトサイドオプションである場合の理論予測と一致する。すなわち、マレー系の民族もコミットメントを行なえない状況であったと結論づけられる。一方、中国系のサンプルでは、夫が相続した土地を持っているか否かは理想の子どもの数の反応度に関係がなかった。この結果は、コミットメントが不可能な場合かつ家庭内別居がアウトサイドオプションである場合の理論的含意と整合的である。

以上の分析から、(1)マレー系・中国系双方ともに、将来の出生行動に関するコミットメントが行われない状況下で、夫婦間交渉により現実の出生数が決定されていること、(2)ただし、夫婦間交渉で重要なアウトサイドオプション(脅威点)が民族の特性を反映して異なっているため、選好の反映に民族間で差が生じていたこと、が明らかとなった。

 

まとめ

Rasul (2008)は出生行動を家計内交渉の結果として捉えて、理論的予測の鮮明な違いをマレーシアの文脈と家計調査にうまくマッチさせることで民族間の交渉メカニズムの違いを明らかにした、理論と実証が見事に融合した模範的な論文である。Rasul (2008)では出生行動に着目しているが、他の場面でもコミットメントの有無は夫婦間交渉を伴う家計行動を考察する上で見逃してはいけない重要な視点といえるだろう。

 

文責:岡村・三浦

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